花巻高村光太郎記念会の企画参加について

お知らせ

企画参加のお知らせ、第二弾です。

『啄木・賢治だけじゃない、岩手ゆかりの高村光太郎』をテーマに、花巻高村光太郎記念会さんが岩漫に企画参加します。メッセージを預かりましたので、ご紹介します。

彫刻家・詩人として知られる高村光太郎は東京の出身ですが、戦後の約7年間、岩手県花巻市の通称『高村山荘』に居住していました。光太郎は独居自炊の山の暮らしの中で文筆活動に取り組み、詩集『典型』や『智恵子抄 その後』を世に送り出します。現在知られている『智恵子抄』は、戦前に刊行した『智恵子抄』と花巻在住時代に刊行した『智恵子抄 その後』を晩年の光太郎が再編集し、没後に新潮文庫から刊行されました。岩手での暮らしが無ければ現在知られている『智恵子抄』は完成しなかったとも言えるでしょう。
光太郎と同世代で活動した石川啄木は光太郎より3歳年少でしたが、その短い生涯の中に、光太郎との接点がありました。旧制盛岡中学を退学し、上京した啄木は、その2年前には東京美術学校在学中の光太郎も加わっていた、与謝野鉄幹の主宰する新詩社同人となりました。新詩社演劇会では喜劇「放心家うっかりもの」が上演され、主役の軍人を光太郎が演じ、啄木も出演しています。
啄木は光太郎のアトリエをしばしば訪れていましたが、その後、啄木は盛岡に移り、光太郎は足かけ4年にわたる欧米留学に出、一旦、二人の交流は途絶えます。
両者が再会したのは光太郎帰国後で、その前年には、啄木も再上京しています。新詩社の機関誌『明星』は廃刊となり、後継誌『スバル』が啄木を編集人として創刊されていました。留学先のパリからも寄稿をしていた光太郎は、帰国後、詩や評論を次々と発表します。その関係で、二人はたびたび顔を合わせていたと推定されます。
光太郎が花巻で過ごすことになったきっかけは、宮沢賢治の存在を抜きには語れません。
太平洋戦争末期、空襲で光太郎アトリエは全焼しました。その後の親戚に身を寄せていた光太郎に花巻への疎開を勧めたのは、賢治の父・政次郎、賢治の主治医であった総合花巻病院長・佐藤隆房らでした。その背景には、生前の賢治が光太郎を崇敬していたこと、賢治没後の献身的な光太郎の賢治紹介の活動があります。
光太郎と賢治が直接出会ったのは、大正15年の12月、おそらく一度だけです。花巻農学校を退職した賢治が、タイプライターやチェロなどを学ぶため、上京した折のことでした。
その後、二人の天才は二度と出会うことなく、賢治は早逝してしまいます。光太郎や心平ら、心ある人々には激賞されていた賢治でしたが、広く世に知られるには到りませんでした。
転機が訪れたのは、その翌年のことでした。遺された原稿の束や手帳を実際に見て心を動かされた光太郎や心平らの奔走で、『宮澤賢治全集』の刊行が始まり、徐々に賢治の世界が世に広く認められて行きます。光太郎の存命中に版元を変えて三度刊行された宮沢賢治全集の装丁や題字は光太郎自身が手がけ、編集者の筆頭にも名前を連ねています。光太郎は賢治の顕彰活動の『プロデューサー』とも言えるでしょう。
生前は無名の地方詩人に過ぎなかった賢治を世に知らしめた恩義に報いるため、政次郎らは光太郎を花巻に招いたのです。
説明が続きましたが『高村光太郎は岩手ゆかりの彫刻家・詩人』であることをご理解いただけたかと思います。
今回、同人誌即売会の場で高村光太郎をご紹介したいと考えたのは、一昨年に文豪転生シミュレーションゲーム『文豪とアルケミスト』とのタイアップイベントを当地で開催したのがきっかけです。
https://bungo.dmmgames.com/news/220912_02.html
コロナ禍で様々な制限がある中での開催でしたが、アクセスが不便にもかかわらず、当地には会期中切れ目無くゲームのファンの方々にお越しいただきました。正直に申しますと、これまで当地とは縁の無かった来訪者層が多数で、現場からは戸惑いと感心の声が上がっていました。
ゲームに登場する作家たちの姿は二次創作そのものです。そこで、ゲームを楽しむファンの方々は二次創作に造詣が深い、つまり二次創作の同人誌の世界にも重なるのでは無いかと思い、企画枠での参加を考えた次第です。岩漫には当会で刊行している詩集や回想録、オリジナルのミュージアムグッズなどを持って行く予定です。これらは当地に足を運んでいただいた方のみお求めいただける品々です。また、展示のみとなりますが、タイアップイベントに関連した資料を持って行きたいと考えています。

岩手出身の啄木・賢治と交流を持ち、のちに花巻で暮らした高村光太郎。この機会に、光太郎について見て、知っていただきたいと思います。

メッセージは以上です。
会場には高村光太郎関連の資料も展示されるとのことです。草野心平が主催した同人誌の中で宮沢賢治と高村光太郎が作品を発表していた、ということに驚きました。彫刻だけでなく、文学の世界でも活躍した、岩手にゆかりある高村光太郎を知る機会になればと思います。

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